生麦事件メモ8〜13

第6回生麦de事件DA‼︎まで後6日

【生麦事件メモ8 結果、仲良くなった薩・英】

生麦事件薩英戦争は痛み分け。まさかこんなことになるとは予想できなかったイギリス。改めて交渉での平和的解決を薩摩藩に申し出ます。

交渉は難航しますが薩摩は最後までイギリスには屈せず、賠償金でなく、遺族への慰謝料という形で2万5000ポンドを江戸幕府に借りて支払います。そしてその借金はそのまま踏み倒しています🤣
結局、生麦事件の犯人も、架空の人物が行方不明になったまま、と押し通しちゃいます🤣

薩英戦争で、イギリスの軍事力の高さを実感した薩摩藩。多くいた攘夷論者も攘夷を諦め、イギリスと友好関係を結ぶ方が絶対いいよねー!となっていきます。

イギリス側も薩英戦争とその後の交渉の中で薩摩を高く評価します。今回の生麦事件の対応でも微妙な対応だった幕府よりも、勇敢だった薩摩藩の方が全然信頼できるじゃん!仲良くなるならサツマ!という感じですね。

大喧嘩をした後に、親密な関係を築いた薩英。まるで一昔前の青春マンガで、主人公がガキ大将と河原でボカスカ取っ組み合いの喧嘩をした後、お互いを認めあって友情が生まれたような話です!

文化の違いや行き違いから起きてしまった生麦事件。それは、戦争まで引き起こしましたが、結果的に薩摩がイギリスと仲良しになり、日本が近代国家の一員となるきっかけだったのです。

【生麦事件メモ9】

そして薩英戦争の翌年1864年、

イギリス軍が薩摩の民家を攻撃してしまったことがイギリス議会で問題に。

ビクトリア女王は遺憾の意を表しました。

イギリス国内で、罪のない一般市民にまで大きな被害を与えてしまったなんて、人道的に許せない!と各地から英国艦隊への非難の抗議が次々へと寄せられてしまったのです。

撤退したイギリス艦隊が再び攻撃に出なかったのはそういう世論の動きもあったのですね。

さて、薩英戦争時に捕虜になってしまった五代友厚は、その経験をきっかけに、海外への留学が必要だと強く推し、1865年、16名の英国留学を実現させます!

当時の日本はまだ海外への渡航は認められていなかった為、密航での留学となりますが😂このことが日本の近代化を大きく進めて行くことになります。

ちなみに、鹿児島いちき串木野市にはこの留学を記念した「薩摩藩英国留学生記念館」が2014年に建ったそうです。館のホームページにこの留学の説明が詳しくまとめられていましたのでご紹介します。きっかけが生麦事件から始まったことも記されていました。

http://ssmuseum.jp/

2015年のNHKの朝ドラ「あさが来た」で第2の主人公として活躍した、ディーン藤岡さんが演じた大人気となった五代友厚も、生麦事件・薩英戦争でのキーパソンだったんですね。

女王が出てきたり、英国留学も実現したり…生麦事件からどんどん歴史が動いたことがわかります。

【生麦事件メモ10-11 薩英大宴会】

生麦事件→薩英戦争→痛み分け→親交を深める

ということで1866年、公使パークス一行を招いて、薩摩藩で盛大な宴が開催されたそうです㊗️

それはそれは豪華な食事が並んだようですが、当時招待されたイギリス人は「ぶっちゃけ料理はいまいちだけど、接待が丁寧なのがとても良かった」のようなことを書き残しているそうです。

和食は当時の外国人には慣れないものばかりで、洋食も日本で用意できるものはまだ難しかったのかもしれませんが、接待が賞賛されているのは、さすが日本。「おもてなし」の心が昔々から大事にされてきたことがわかりますね。

さて、当時の薩摩では豚肉料理が最高のご馳走とされていたようです。イギリス人から「クレイジーだぜ」とまで言われるくらい、薩摩では豚肉料理が流行していたようですね。

もちろんこの宴でもメインディッシュは豚肉。

そこで問題!イギリスとの宴のメインディッシュは次のどれでしょう

1.トンカツ

2.豚しゃぶ

3.豚の丸焼き

鹿児島といえば豚肉…どれも美味しそうですね。

生麦de事件DA!!でも、焼き肉のささ木さんが黒豚丼を出してくれますが、当時の宴会では何が出されたのか…?

答えは、、イベント当日、答えの「生麦事件メモ12」を探してみてください😂

【生麦事件メモ13 生麦事件で豚も美味しく??】

「生麦事件メモ12」を飛ばして今日は「生麦事件メモ13」までご紹介します。

元々薩摩豚は琉球から移入されたものが起源。

薩英戦争の後、薩摩藩はイギリスに友好の証として、あるものを贈り、そのお返しに、イギリスから薩摩に豚が贈られたと言われています🐖🐖🐖

そのイギリスから来た豚「バークシャー種」を導入して、品種改良されたのが現在の鹿児島の名産品「黒豚」になったのです。

つまり、生麦事件があって、薩英戦争でイギリスと仲良くなったから、今の美味しい鹿児島黒豚が食べられるんですね!🐖🐖

戦国時代から、薩摩では豚肉のことを「歩く野菜」と呼んで、豚を生きたまま兵糧として戦場に運ぶほど。「肉食集団」と呼ばれるくらい豚肉を愛していたようです。イギリス人から驚かれたのも無理はないですね。

お返しが豚とのことですが、薩摩がイギリスに贈ったあるものとは何でしょう?

これはメモではクイズになっていませんが、生麦事件DA!!でもあるお店が販売するものです。

こちらについては「生麦メモ16」で答え合わせしますので少しお待ちを。

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