生麦事件メモ6・7
【生麦事件メモ その6】
【生麦事件メモ6 薩英戦争】幕府は賠償金を払いましたが、薩摩藩はプライドがあるので、断固拒否を続けます。
「生麦事件の犯人引き渡し」という話が、「イギリスが島津久光の首を差し出せと要求している」と誤って伝わってしまっていた事もあり、なんともこじれてしまいました…
薩摩藩は実行犯に架空の人物をでっち上げて時間稼ぎをしたり(笑)更には鹿児島湾に交渉しに来たイギリス艦隊に、すいか売りのふりをして奇襲をかける「スイカ売り決死隊」作戦を実行!…しましたが、イギリスがスイカを食べないので怪しまれて中止(笑)、、、世界最強とも言われてきたイギリスも、さすがにこんな相手は初めてだったのではないでしょうか
痺れを切らしたイギリスは、薩摩藩の船に乗り込んで、三隻の船を強奪。中にいた人たちを捕虜にしてしまいます。(その中には2015年の広岡浅子の朝ドラでもブームとなった「五代友厚」もいたそうです)
今度はさすがの薩摩藩も激怒ぷんぷん丸カムチャッカファイヤーでイギリス艦隊への砲撃を命じます。
これが薩英戦争の始まりです\(^o^)/
誰もがイギリスに薩摩が勝てるわけないと思っていたのですが、なんと薩摩藩はイギリス艦隊の撃退に成功します。
イギリスの死傷者は約60名・軍艦一隻は大破。対する薩摩藩は死傷者10名。ですが鹿児島の街に大きな被害が出てしまいました。戦争の結果としては痛み分けですね。行き違いのような事件から戦争になってしまった事は悲しいことですが、大国相手に島国の一地方が対抗できたのは、かなりすごいことだと思います。
【どうして薩摩は負けなかったのか・生麦事件メモ7】
これはイギリスが薩摩を甘く見ていたとか、桜島の奇襲作戦がうまくいったとか、色々あるようですが、なんと、イギリスは弾薬庫前に、幕府から受け取ったドル箱を積んでしまっていて、砲撃がすぐに開始できなかったのです。
そう、幕府が面子を気にして夜中にお相撲さんに運ばせた重ーいドル箱。慌ててどかそうとしてもなかなか動かなかったとかなんとか……さらに台風で海も荒れたりと、イギリス軍涙目なにか不思議な力が働いてると考えそうですよね。馴染のない東洋の島国だし・・・。イギリスからすれば不気味だったのではないでしょうか。
とにもかくも、明らかな力量差に関係なく負けなかった薩摩。様子を見ていた他の国もこの結果は衝撃的だったようです。
さて、生麦事件がきっかけの戦争も終わり、この後イギリスはどう出るか、薩摩はこの戦争の結果から何を学んだか。
ここから日本が大きく動いていきます!