生麦事件メモ1〜5
当日、イベント会場にて、お店のテントなどあちこちに「生麦事件メモ」を掲示します。
生麦事件の豆知識が色々と書かれています。こちらは生麦事件参考館の故浅海館長が監修してくださいました。イベントを楽しみながら、生麦事件博士になれる!という仕組みです
当日はこちらのメモを一部抜粋したカードも配布します。4枚集めると現金が当たる抽選会に参加できますよ!
【生麦事件メモ その1〜5賠償金の金額は?】
生麦事件が起きてしまい、イギリスからは徳川幕府に謝罪と賠償金の要求が来てしまいました。その額はなんと10万ポンド!
徳川幕府もはいごめんなさーいとすぐ払えるような金額ではなかったのです。10万ポンドは約44万ドル。当時でも常識外の金額です。今の金額だと20億円くらい?…全然ピンと来ないすごい金額ですよね。
金額だけの問題ではなく、当時、朝廷では外国を撃退して鎖国を通す「攘夷論」が高まっている状況。生麦事件が有名ですが、既にあちこちで外国人殺害事件は起きていたのです。
そんな中起きた生麦事件。攘夷派からはよくやった!!と喜ばれてしまいますが、当の島津久光は攘夷論者じゃなかったとのこと。正当防衛だったんだってば!攘夷とかじゃないんだってば!と言い張りますが、気がつけば英雄扱い。
イギリスは当然激おこ。払わないと戦争だぞ!と脅してきます😢。
幕府はびびりますが、攘夷一色の朝廷に「イギリス怖いから賠償金を払いまーす」なんてとても言えないので、イギリスへの返事を遅らせます。しかしイギリスは着々と戦争の準備を始めている。
そこで、幕府の老中、小笠原長行が「独断で」支払ってしまったそうですが…はて、本当に独断だったのでしょうかね?
このあたりも資料を色々見ていると面白いところです。
こうして、面子の問題もあるため、夜中に相撲取りがえっちらえっちらと大八車で賠償金は運ばれていきました。
……しかし幕府がお金を払って解決ーとはなりません。
イギリスは幕府と薩摩藩の両方に賠償金を請求したら丸儲けや!と薩摩藩にも犯人の処刑と、2万5000ポンドを要求していたんですねー。ところが薩摩藩は、頑なにそれを拒否し、薩英戦争へと繋がるわけです。
どう考えても険悪な薩英関係ですが、ここから最終的には仲良しになるのですそこからが当イベントの趣旨みたいなところはありますのでこれからの展開をお楽しみに